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黒い霧事件 (日本プロ野球) : ミニ英和和英辞書
黒い霧事件 (日本プロ野球)[くろいきりじけん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
黒い : [くろい]
 【形容詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
黒い霧 : [くろいきり]
 【名詞】 1. thick fog 
: [きり]
 【名詞】1. fog 2. mist
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 
: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
プロ野球 : [ぷろやきゅう]
 【名詞】 1. professional baseball 
: [の]
 【名詞】 1. field 
野球 : [やきゅう]
 【名詞】 1. baseball 
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball

黒い霧事件 (日本プロ野球) : ウィキペディア日本語版
黒い霧事件 (日本プロ野球)[くろいきりじけん]
日本プロ野球における黒い霧事件(くろいきりじけん)は、プロ野球関係者が金銭の授受を伴う八百長に関与したとされる一連の疑惑および事件。新聞報道などをきっかけに、1969年から1971年にかけて相次いで発覚した。
日本野球機構は八百長への関与について「(野球協約第355条が規定する)『敗退行為』に該当する」との見解を発表。関与が疑われた現役選手には永久出場停止(追放)、長期間の出場停止、年俸減額などの処分を下した。
また、上記の選手の一部はオートレースの八百長事件にも関与。この事件では現役のオートレース選手19名が警察に逮捕されている。
== 事件の経緯 ==

===発覚===

1969年のペナントレース中に、西鉄ライオンズ(後の埼玉西武ライオンズ)のフロントは、自軍の選手が八百長を演じているのではないかとの疑惑を抱き、極秘に調査を開始。調査の結果、投手の永易将之が公式戦で暴力団関係者に依頼され、わざと試合に負ける「敗退行為(八百長)」を行っていたことを理由に、西鉄は永易をシーズンオフを以て所属契約の更新を行わず、解雇とすることを決定する。一方、報知新聞の西鉄の番記者にカール・ボレスが「ウチにわざとミスエラーする選手がいる」と囁いた。そこで報知新聞は、読売新聞の社会部と共同で取材を進めた〔田中茂光「ボレスの言葉が発端 重苦しい社長賞」『Sports Graphic Number』1986年5月20日号、p36〕。そして、球団社長の国広直俊は、読売新聞と報知新聞の取材に対して、球団が自軍の疑いのある選手を調査したところ、「残念ながら事実でした」と認めたうえ「永易ら3人について調査したが、他の2人の選手は永易に誘われ、一時、八百長に加わっただけですでに反省しているので処分の対象としなかった」と答えた〔読売新聞1969年10月8日15面「球界に大汚点残す 西鉄球団社長談」読売新聞縮刷版1969年10月号〕。
10月8日、読売新聞報知新聞が永易が公式戦で八百長を演じていたと報道〔読売新聞1969年10月8日15面「西鉄・永易投手が八百長」〕〔報知新聞1969年10月8日「永易 公式戦で八百長 球界初の永久追放」1-2面〕。この報道を受けて、球団社長の国広が午前11時半より福岡市内の球団事務所で記者会見した。国広は、「永易が八百長をやっていたという確証を突き止めたわけではないが、素人の私の目から見ても八百長を演じているのではないかという思える節があり、本人を呼んで問いただすと本人は否定も肯定もせずただ震えているだけだった、この態度から永易は野球トバクに手を染めていると確信した」などと語った〔読売新聞夕刊1969年10月8日11面「永易投手の八百長 西鉄ファンは怒る」〕〔朝日新聞1969年10月8日夕刊11面「"野球トバクに関係"西鉄球団 永易選手を退団処分に」〕。
一方、永易の福岡市内のアパートには新聞報道を受けてマスコミが殺到、永易は「自分はやましいことはないが、こうなっては今更何を言っても聞いてもらえないでしょう」といい、普段着のまま自宅を出て行き行方をくらませる。
西鉄の監督兼選手の中西太は9日に球団に対して辞任を申し入れた。西鉄本社とオーナーの楠根は慰留したが、中西の退団の意思が固く、22日、退団を認めることになった。同日の午後2時に福岡市内の西鉄本社にて記者会見し、正式に発表した。
13日にパリーグの定例の理事会が東京の銀座の連盟事務所で開かれた。国広は「永易が八百長をやっていた直接の証拠は突き止められなかったが、心証として八百長をやっていたことは間違いなく、その証人もいる」と述べた〔朝日新聞1969年11月25日13面「裁決迫る八百長事件 『永易問題』の周辺」〕。パリーグ会長の岡野祐は、疑惑の挙がった選手を何ら処分しないのはおかしいとして、永易を野球協約の中の条文の失格選手として処分することした〔毎日新聞1969年11月14日15面「ファン裏切る別件処分 暴力団との関連追及もタナ上げ」〕。
翌14日、コミッショナー委員会(当時はコミッショナーの権限については委員長宮沢俊義金子鋭、中松潤之助の3人が合議制で担当した)が開かれ、宮沢は、永易を失格処分とすると永易は球界と関係ない人物となって本人の呼び出しなどの調査が出来なくなると岡野の処分案に反対し、永易は野球協約の中の有害行為に関する条文で制裁が可能であると指摘した〔読売新聞1969年10月15日15面「八百長究明せよ 永易投手別件追放はすりかえ コミッショナー委 パ・リーグ会長に指示」読売新聞縮刷版1969年10月p463〕。
読売、報知の報道と同じ頃、創刊間もない『週刊ポスト』が野球賭博を追及する記事を掲載し始める。10月17日号では暴力団による野球賭博の実態に迫った記事を掲載〔週刊ポスト1969年10月17日「阪急・近鉄を狙う野球トバクの魔手 在阪球団の骨までしゃぶりつくすトトカルチョの実態」〕すると、翌10月24日号では、永易以外にも「疑わしい」選手の名前を実名を挙げ、その記事内の「田中勉も一役?」の中で、当時中日ドラゴンズに在籍していた投手の田中勉が西鉄球団に八百長を広めたのは衆目の一致するところと報じた〔週刊ポスト1969年10月24日「「永易以外にいる疑わしい8人ファンを裏切った腐敗分子を蛮勇をふるって告発する」〕。これに対し、田中は記事の内容は事実無根だとして10月21日に弁護士を伴って『週刊ポスト』編集部を訪ねて抗議し、謝罪と記事の撤回を求めるが、編集長の荒木博は拒否〔報知新聞1969年10月22日3面「八百長は事実無根 田中勉、ポスト誌へ抗議」〕〔サンケイスポーツ1969年10月22日3面「田中勉週刊誌を告訴へ "八百長記事は事実無根"」〕。
10月16日、夕刊フジ記者の住谷礼吉が福岡から大阪へ向かう飛行機の中で永易を発見、永易は住谷に対して「神に誓ってやっていない」、「球団社長を告訴する」と八百長を否定したが、「今更何を言ってもムダだ」とも述べた〔夕刊フジ1969年10月17日(発行10月16日)「蒸発・永易を福岡で発見 本紙記者に八百長の真相語る」1-3面〕。住谷は永易に対してコミッショナーのもとへ出頭するよう勧めたが、結局また行方をくらませたままであった〔馬見塚達雄『夕刊フジの挑戦 本音ジャーナリズムの誕生』阪急コミュニケーションズ、2004年、p60〕。
11月28日コミッショナー委員会は永易に対し、永久出場停止(追放)という日本野球界初の処分を下す〔毎日新聞1969年11月29日「永易をプロ球界から永久追放」毎日新聞縮刷版1969年10月905p〕。
一方、西鉄球団は球団社長の国広が11月30日で辞任。後任には青木勇三が12月15日に就任した。
中日は田中に対して12月15日、トレード要員にすると通告〔朝日新聞1969年12月16日13面「田中勉、トレードに」〕。19日、中日は田中に対してトレード先がないため自由契約にすると通告した〔朝日新聞1969年12月20日13面「中日、田中勉を自由契約に」〕。同日、田中は『週刊ポスト』を名誉棄損罪で東京地検に告訴した〔朝日新聞1969年12月20日15面「『週刊ポスト』を名誉棄損で告訴 田中投手」〕。その後他球団から獲得の申し出がなかったため、郷里の福岡市に戻り、引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒い霧事件 (日本プロ野球)」の詳細全文を読む




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